2020-05-20 第201回国会 衆議院 文部科学委員会 第8号
これに基づいて、過去に、現代日本文学翻訳・普及事業といって、文化庁が、この当時で七千二百万円ほど予算をつけているんです。これが今途中で消えちゃっているんですけれども、これはなぜ消えたかというと、これは、文学書を中心に、日本の古典というか、それをいろいろな言葉に翻訳したんですが、本が売れない、紙でやるから。それと同時に、国の予算一〇〇%でこれをやっているんですよ。 この発想じゃないと思う。
これに基づいて、過去に、現代日本文学翻訳・普及事業といって、文化庁が、この当時で七千二百万円ほど予算をつけているんです。これが今途中で消えちゃっているんですけれども、これはなぜ消えたかというと、これは、文学書を中心に、日本の古典というか、それをいろいろな言葉に翻訳したんですが、本が売れない、紙でやるから。それと同時に、国の予算一〇〇%でこれをやっているんですよ。 この発想じゃないと思う。
これは恐らく、天皇の寵愛を失いつつあった彼女がそのわびしい身の上をかこって歌った歌でしょうけれども、この歌を非常に評価する日本文学を愛好する翻訳家がたくさんいまして、これを訳した人がいるんです。
それからあわせて、日本の文化をよりよく理解してもらうためには、日本文学を海外に広めていくということが大事だろうと思います。
一方、まだ海外へ紹介されていない優れた現代日本文学も多いということから、文科省としては、優れた現代文学の作品を翻訳し、海外で出版、寄贈を行う現代日本文学翻訳・普及事業を平成十四年度から実施しており、これまでに百二十三の作品について英語、フランス語、ドイツ語などに翻訳し、百五十四種の図書を出版しているところでございます。
私だけの知識ではおぼつかないので、玉川大学の中田幸司准教授にも、日本文学の先生ですが、裏をとるというか、事実関係も調べていただいてきました。 さて、行きますね。つくりの部分が疑うという字ですね。それから、そこに石というへんがついておるというふうな漢字であるということは一目瞭然であります。 この疑うという漢字の語源というものを御存じでしょうかというところから入りたいと思います。
キーンさんが言ったことは、東大のそこの学問レベルがどうこうなんということではなくて、自分が所属する、あの人はプリンストンでしたか、あの大学の日本語、日本語文学の教授の数よりも東大の日本文学の教授の数の方が少ないと。この一言でもう大体東京大学のそういう基礎的研究のレベルがわかるわけでしょう。
それから、五十年代の初めでございましたか、加藤先生がお書きになった「日本文学史序説 上」。私は、これは文学史の本でしたが、これは政治思想、日本の政治文化の本としてとらえまして、大変刺激を受け、啓発を受けました。日本の政治学会が文学史で日本文化が解明されるということを非常に不思議に思ったんですが、この本に啓発された記憶がございます。
そこで、多少生臭くなるかもわかりませんが、先生のこの「日本文学史序説 上」で、日本文化というのを分析されて、新しいものが古いものにつけ加わる、いわゆる建て増し文化、古いものが取れないんだという、旅館の建て増しのような構造になるんだという指摘、その結果、極端な二重構造になる。それから、土着の世界観が普遍的な外来文化を日本化するんだと、こういう御指摘。
昨年、韓国で国際会議が開かれまして、私はそのときのことを、横書きの「日本文学の発生」のところの必要な部分だけをコピーしてございますのでごらんいただければと思いますが、そのときに、アジアは一つということを申しました。私は一九三一年、昭和六年生まれ。
実はきのう国学院大学で二時限のときに日本文学特殊研究、これは古典です、百人近い学生がいます。それから午後、日本文学各論、これは二百人を超える学生がいます。一時間半が授業ですから、残りの三十分で、国歌君が代と国旗日の丸の法制化についてどう思うかということを全員に書かせました。それが今ここにあるのです。 今、小此木先生は三十四ですか。
ある種の、需要という言葉は大変失礼ですが、日本語を学んでおられる方々は、従来は、例えば日本文学とかそういった形で大学レベルでの勉強をされる有志の方がおられたようですが、これからは広く日ロ間にあらゆる各界の交流が深まるという過程の中で、特に経済的な面でこれから日本の投資その他が行われていくことになりますと、日本語の話せる方々というのは大変大切なことだろうと思います。
また、外務省が所管しております国際協力基金におきましても翻訳事業をやっておりますし、また文部省もユネスコを通じまして日本文学を翻訳するための拠金を出しているところでございます。今後さらに、日本のすぐれた芸術作品を言語の壁を乗り越えて世界じゅうの方に御理解いただくという重要性については先生の御指摘のとおりだと考えております。
そこで、文化発信村会を構築するためには日本文学の英詩などへの翻訳を国が積極的に支援し、すぐれた文学作品の海外への紹介等を私は推進する必要があるのではないか、こう思っていますから、人山の所見を承っておきたいと思います。
私の、戦争中、太平洋戦争中の英語の先生に一人、何人かおりましたが、お一人は大変立派な方で、日本文学の教養も深く、そういった先生の、英語を教えてくださりながらその間西洋の文学なぞについてしゃべってくれたり、日本の古い文学の美しさについても語ってくれたというのがいろいろおもしろくて、いわばそういった方に私淑しているうちに、だんだん英語というものが世界を知るためのいい道具だなということに、いつの間にか子供
同じように、これも既に先週完成したんですが、日本文学を世界に紹介する上で最大の貢献をしていらっしゃるコロンビア大学のドナルド・キーン先生が日本人について講演を英語でしてくださいました。これは日本人は世界から非難されるほど排他的ではない。日本へ来て、皆外国人は英語を話すことを日本人に期待するから間違いである。日本語は一億二千万人の人たちがしゃべる言語である。
かつてライシャワー先生の世代に日本語を勉強なさった方は、大体日本文学、日本史といったような日本研究のための日本語であったわけでございますが、現在では化学、哲学、物理学といったようなあらゆる学問分野にわたって、それぞれの学問を勉強するための手段としての日本語、学問の世界ではそういうのもございます。
そういうことなんですけれども、そういう韓国が日本文学とか日本の学術関係の紹介を韓国にする場合、その著作権のことはどうなっているんでしょうか。
確かにパリ大学第三というのは旧東洋語学校でございますので日本語が主だと思いますが、入ってくる人の関心はそういうふうに躍動する現代の日本ということでございますのに、教授陣は相変わらず日本語並びに日本文学、広い意味で教養のある方々だそうで、芸術論という程度までしかいかないということだそうでございます。
日本文学であり、あるいは日本の歴史であり、美術である。それで非常にその中には、さらに言いますと特殊なテーマを取り上げまして、具体的に申し上げますとたとえば奈良のお水取りの研究をやりたいとかあるいはタカ狩りの研究がやりたいとか、非常に特殊なテーマをとる。それは、結局それを持ち返って今度は国へ帰って学位論文を書くというようなためなんです。
たとえば日本文学関係の学会では二十四あります。仏教学に関するものが八つあります。そういうふうに、会員もまた研究機関に属する者のほか、いわゆるアマチュア的研究者、民間研究者、これは別に差別する意味ではありません。この中にもりっぱな研究者がおられますけれども、つまり大学なんかに寄り得ない研究者、これは地方史研究なんかにそういう方が多いのですけれども、実に学会というのは多種多様、千差万別であります。
そのときに、その人は日本語が達者だし、また日本の古典文学、古事記や日本書紀なんかも読んでいるのだというのに驚いたわけですけれども、直接に日本の古典なりあるいは日本文学等もその人は翻訳できる。しかし、東洋なり日本に興味を持っておる人はロシア語に翻訳されたものを今度ブルガリア語に翻訳している。そういう経由をしていかなければならない。
いろんな日本文学会とか歴史学会とか、それから自然科学学会とか、学会をそのまま中継して、それを自由選択科目的に内容として位置づけるとか、これはオープンフォーラムと同じようなことでございますけれども、先生方に向かって恐縮でございますが、私、国会中継見ていて大いに勉強させられているなんというところもございますので、こういう学会、いろんな学会、いい学会ございます。
たとえば能、歌舞伎とか、音楽とか、舞踊とか、茶道、生け花、盆栽、絵画、日本的建築、庭園、日本映画、スポーツ、日本文学等、このように非常に日本の文化にあこがれておるのですよ。それを私は提案したいが、いかがですか。
文学は「日本文学の思潮と作品」経営学は「企業組織論」工学は「システム工学」家政学は「住居論」ということで、各四十五分を十五本制作いたしまして、その際には、番組内容の水準、視聴効果、印刷教材の役割りなど教育に必要な基礎資料を得るための三種の調査を実施いたしました。
これはとにかく比較するのでございますから、日本文学とドイツ文学、あるいはドイツ文学と英文学、ドイツ文学とフランス文学というふうに、でありますから最低二カ国語は絶対これを必要といたしますので、非常に語学を鍛えますし、比較を出ました学生は大体において高等学校の語学の先生に就職しているのが多うございます。